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[29] カヴォリ神父 阿蘇山腹に収容される

 
カヴォリ神父 阿蘇山腹に収容される
カヴォリ神父 阿蘇山腹に収容される


 太平洋戦争当時の日本は、日々、帝国主義政策、アジア制覇政策という方向に狂信的に進んでいった。この政策は、日本が世界制覇をすることによって真の幸福と平和がやってくるという考え方にもとづいていた。そのため外国人、および外国人設立の施設や団体に対して激烈な敗訴思想の宣伝がなされた。外国人にはスパイ容疑がかけられ、いつも警察から尾行され、宣教活動もほとんどできない状態になった。あるときは、宮崎神学校が家宅捜索され、宣教師たちが理由もなく警察署に連行され、厳しい取調べを受けたことがあった。

 カヴォリ神父に対しても、救護院の責任を辞任した方がよいと周囲の人々は説得してきたが、彼自身はそれは耐え難いものがあった。彼の眼前には収容施設の子供や老人たちの飢えをしのぐためにはどうすればよいか、また誕生したばかりの「カリタス修道女会員」の養成のことなど、いろいろな難題が山積みしていた。
その頃、カヴォリ神父は、修道会の統治については各部門に責任者をおいて組織立てることについて考え、それを実行した。

 1945年になって日本国全土は、爆撃に次ぐ爆撃を受けた。3月19日には、米機B29による空爆の中で、救護院は生命の危険にさらされていた。このとき、九州全土に居住する外国人宣教師全員に強制疎開の命令が出された。熊本県の阿蘇山腹の収容所にカヴォリ神父は、他のサレジオ会員と共に収容されることになった。彼は強制疎開免除を請願したが、どのような理由も理由にならず国の命令を変えることはできなかった。

 カヴォリ神父は救護院の全員を聖堂に集めた。
重大なニュースを皆に知らせ、別れの挨拶をするためであった。カヴォリ神父のことばに皆が泣いた。カヴォリ神父は、彼らに語った。「毎日希望をもってロザリオを唱えること。全員が聖母に信頼して“アヴェ・マリステルラ”をささげること。母様を中心に皆が一致して助け合うこと」。そして、「たとえ、敵機が救護院をめがけて爆撃しようとしても、操縦士の目に一匹のブヨが入り、彼は目標をはずしてしまうにちがいない」と話し、これを聞いた全員はやっと笑顔になった。

 出発は真夜中で、カヴォリ神父は、この大切な人々を残して別れることについて、これまで体験したことのない苦痛を感じるのだった。

強制収容所で外国人宣教師たちが受けた屈辱と飢えはどれほど辛いものであったのか、私たちには想像すらできない。彼らは実際に捕虜として取り扱われ、およそ二ヶ月間、抑留された後、解放された。



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