奉献生活

皆さんにとって「奉献生活」という言葉は、あまり耳慣れない言葉かもしれませんが、自由意志をもって、神の国のための独身生活を送りながら、貞潔、清貧、従順という3つの誓願を生きる生活を指します。「奉献生活」については司祭や修道者たちだけでなく、すべての人が論じ合ったり、学んだりするよう招かれています。

私たちイエスのカリタス修道女会のシスターたちも奉献生活を送っています。時々、シスターたちの生活についていろいろな質問されることがあります。何を食べているの? 何時ごろ起きるの? 実家には帰れるの? 制服はどうしてるの?など、様々です。そこで、私たちの生き方や生活様式について皆さんの疑問にお答えしていこうと思います。できるだけ易しい言葉で説明するよう努めたいと思います。

私たちのホームページ上にあるブログ「シスターたちの居間」を愛読してくださっている皆さんは、かなり私たちの日常や特別なイベント(こちらの方が主かな)について把握されつつあるのではないかと思います。この記事を通して、私たちのアイデンティティーについてもう少し踏み込んだ内容をお伝えできればと思っています。

毎月24日は扶助者マリア様の日です。この日に向けて、シスターたちは毎月9日間 召命のために祈ります。つまり、私たちと共に奉献生活の道を歩む若者たちが与えられますように、また、自分たちが神様から与えられた召命のお恵みに感謝し、最後まで喜びをもって奉献生活を全うすることができますようにと祈ります。私たちの召命を守り導いてくださるマリア様の日に信頼を寄せながら。

シスターの一日
02
― 愛という深さを生きる一日 ―

 シスターたちは毎日、どんなことをして過ごしているのだろうと多くの人は考えているようです。現に、少し親しくなった方々からは、どういう生活をしているのですか?と聞かれることも少なくありません、詳しい過ごし方は次回の「シスターのお仕事」のテーマでお話したいと思いますので、今日はそのエッセンスだけをお話しようと思います。 私たちは朝、起きるとカトリック教会の伝統に従って『聖務日課』と呼ばれる公の祈りをします。この『聖務日課』の祈りを一日に何度か唱えます。この祈りを通して神様の時間を生きるという意味があります。もちろん公というのですから、内容とその唱え方が統一された教会の公式の祈りという意味があるのですが、この祈りは歴史的な背景もあり、それゆえ教会の歩みを支えた祈りということができますが、時を聖なるものにするつまり神様の時間にする祈りなのです。 昔から修道者はこの『聖務日課』の祈りに象徴されるように人間の存在、人間の働きを司る時間という次元を神様の次元にすることで時間を聖なるものにしてきました。つまり「時間は神様のもの」という意味です。したがってこの『聖務日課』は時課の祈りとも言われました。この祈りをすることによって、この時間を神様に捧げていくのです。 この教会の伝統にしたがって、私たちも時間を神様のものだと考えています。しかし具体的に神様のものとするというには、どういうことをいうのでしょうか?神様のものだから、自分のものじゃないから、何ができて、何ができないのでしょうか? 私たちは神様をこよなく愛してくださり、それゆえこの私の体を造り、私のすべてを守り育て、生かしてくださる方だと信じています。神様は私たちをいつも100%で愛してくださる方です。時間を神様のものにするとは、つまりその神様の愛色にばっちり染まることです。そのために私たちが神様の愛の道具になることです。 ところで、人が愛するとき、恋人同士が、また母親が子供を、夫婦が愛するとき、これは時間的な体験というよりも深さです。愛を実感するのはもちろん、その愛の歩みという意味では時間でもありますが、それより強烈な愛を自覚できるのはその深さゆえです。むしろ時間はその深さに奉仕する、その理解を助けるものです。すばらしい体験はその深さによって初めて実感できるからです。
私たちがこの時間を神様のものとして生きようとするとき、そこには神様との愛の体験、深さがあります。この時間を愛する神様のために、この時間を私の愛する友人、家族、会ったことはないけれど、祈りを必要としている人びとのために捧げるのです。この愛の思いの詰まった矢は時空を越えて人々の心に届くと信じます。神様は愛100%の方なので、神様と通じるためには愛という方法しかありません。私たちの神様は現世利益の神様ではなく、愛そのものの神です。この方と通じたければ、愛を悟り、愛を生き、愛を通して人々とかかわるという方法しかありません。 一日を終えるとき、私たちは今日一日、神様の愛に応えて人を愛しただろうか?とその道を思い返します。気がつくといただいたことのほうが多い毎日。『聖務日課』の祈りに刻まれる神様の時間を愛で満たした時間にすることが、私たちの一日の務めです。

神と貧しい人のために
神と貧しい人のために

天使のお仕事
いささか古い話で恐縮ですが、1999年くらいのテレビ番組で「天使のお仕事」というドラマがありました。「ナースのお仕事」のシリーズのような感じで、観月ありさ主演でしたが、思いのほか人気がなかったと聞いています。それは日本の宗教的な雰囲気と無関係ではないと思います。シスターたちの仕事についてちょっとは興味があるが、それほど知りたいとは思わないという関心度なのだと思います。それにもめげず、今回は少し紹介してみたいと思います。
そのドラマの中で見習いシスターの主人公が積極的にボタンティアをしようということになり、公園でホームレスにシチューを振舞う場面がありました。それを機に、私たちの修道院でも山谷に炊き出しに行くことになり、なんともありがたいドラマとして印象に残っています。

さて、実際、私たちは毎日、この貧しい人のために炊き出しばかりをしているわけでもありません。特に、私たちカリタス会の場合は、社会福祉の事業、幼稚園などの教育事業も多く、その中で普通の職員として働いています。実際、お給料を手にしたことはありませんが(給与は一括して修道会の管区本部に送金されます)、仕事としては一般の方と同じようなことをしているわけです。私たちの仕事の特異なところはそれが「使徒職」であるということです。


使徒職?
仕事は人間として生活するために必要な活動であり、貧しい地域で働くほかのシスターたちのための資金づくりとしての行為でもあります。しかし本質的なことは、それが神様からの命令で、神様の愛を自分の存在で示す役割を担った「使徒」として、働くという点にあります。ですから私たちの仕事は単にお金のための「仕事」ではなく「使徒職」と言われます。しかし神様から派遣されるといっても、神様は見えないので、その見えない神様の代わりに修道会の管区長様から命じられて、それぞれの場所に派遣されて仕事に就くのです。

誰のために?
ところで、日々の使徒職の中で私たちが出会う人々はどんな人なのでしょうか? 社会福祉事業、教育事業の中で私たちが奉仕する対象は、貧しい人も、あるいはそこそこの生活を営んでいる家庭の人もいるでしょう。しかし共通するところは私の愛の対象であるということです。しかしその中で特別に光を放っている対象者がいます。それは「より貧しい人」です。
昔、中世の時代、ヨーロッパの教会ではいたるところに貧しい人がいて、教会の司教様方が直接、貧しい人のために奔走していました。ですから、司教様の個人的なタイトルの中に「貧しい者の父」などというのがあったそうです(貧しい人を友と呼んだ司教としてはレ・ミゼラブルのジャンバルジャンを助けたディーニュのミリエル司教を思い出します)。しかしそんな司教様たちも次第に社会の権力、富を手にしだすと、だんだん世俗化し、貧しい人を大事にしなくなり、今度は聖フランシスコのような聖人、修道者が現れて貧しい人のお世話をするようになりました。18世紀19世紀には女性の自立とあいまって貧しい人を助けるために多くの女子修道会ができたと言われます。というように、修道会創立と貧しい人の救済は切っても切れない縁なのです。

はじめに貧しき者ありき
私たちの修道会もそうです。カリタス会は今から約77年前に九州の宮崎で始まりました。その起こりは神に生涯を捧げる女子の集まりではありませんでした。救護院というところに貧しい人がたくさんいて、そこで働く女性たちによって、その慈善事業を継続させるために修道会が誕生しました。他の修道会の場合、女性としての理想を求めた若い女性たちの集まりがまずあって、何かをしようということになり、教育や貧しい人のために働き始めたという例が多いと思います。しかしカリタス会の場合は、「貧しい人」が主人公でした。修道会の前にまず、貧しい人がいて、そこに奉仕がすでに存在していたのです。貧しい人のいるおかげで修道会が創立されたのです。その意味で私たちの修道会の仕事、つまり「使徒職」は、この貧しい人のためであり、貧しい人一筋ということが言えます。

師である人
修道会のはじめの記録を見ると、男性も顔負けのすごい仕事をしていたことがわかります。なりふりかまわず、ひたすら貧しい人のために。それは聖書で言われる「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」という聖書の教えを信じていたからです。
また、私たちが貧しい人に奉仕するのは、彼らのためでありながら、この方々が私たちに大切なこと、つまり人間の本質である「愛」について「いのち」の絶対的な価値について教えてくれるからでもあります。
教皇フランシスコは次のように言っています。「貧しい人々から宣教される」ことが必要であることを若者たちに教えてください。「自分にはすべてが足りていると思っている人も、実は貧しいのです。自分の貧しさが何かを知るためには、貧しい人や、病気の人、助けを必要とする人々から、自分自身が教えられる」のですと。
たしかに山谷にいってホームレスの人に奉仕しようとしたところ、かえって彼らから多くのものをもらい、炊き出しをしに行ったはずなのに彼らから何か大切なものを教えてもらった経験が私たちには何度もあります。

マザー・テレサの祈りに「わたしをお使いください」というのがあります。上村幸一郎さんの曲で情緒深く歌われている祈りです。この祈りはわたしたちの仕事をよくあらわしていると思いますので、それを最後に記したいと思います。


主よ、わたしをお使いください ~マザー・テレサの祈り~

主よ、きょう一日、貧しい人や病んでいる人を助けるために
わたしの手をお望みでしたら、きょう、わたしのこの手をお使いください。

主よ、きょう一日、友を欲しがる人々を訪れるために
わたしの足をお望みでしたら、きょう、わたしのこの足をお使いください。

主よ、きょう一日、優しいことばに飢えている人々と
語り合うために、わたしの声をお望みでしたら、
きょう、わたしのこの声をお使いください。

主よ、きょう一日、人は人であるという理由だけで
どんな人でも愛するために、わたしの心をお望みでしたら
きょう、わたしのこの心をお使いください。

どのような仕事をしていてもわたしたちの心は、神様とこの貧しい人を志向しています。その仕事をより集中してし続けることができるようにシスターになったのです。シスターの仕事は貧しい人への愛につきます。

どうしてシスターに
03 シスターになるきっかけ

たかが誓願、されど誓願
結婚した人に聞いてみる。「どうして、この人と結婚したの?」、「成り行きで」、「他に選択肢がなかったの」、「悪くないと思ったから・・・」などと返事が返ってくる。というのはよくある話です。人が一生の選択をするときに、「たかが結婚、されど結婚」とはいえ、ジレンマと価値を天秤にかけること、そして導きを信じるということが必ずあると思います。シスターになる・・・確かに私の場合もこの三つの事、つまりジレンマと天秤と導きへの信頼が絡んでいたように思います。しかし、決定的なことは「私が選んだ」という思いよりも「神様が私を招きいれた」あるいは「呼んで下さった」という確信です。


恵みが先?意志が先?
人、それぞれシスターになった経緯は様々でしょう。大げさかもしれませんが、召命の神秘は教会2000年の歴史に刻まれた「恩恵と自由意志」を巡る論争にも匹敵するほど難しく、理解し難いものです。ちょっと難しい話になって恐縮ですが、この論争は、412年から18年間も続いた論争で、アウグスチヌス対ペラギウス論争が最も有名です。そこで何が問題となったのかというと、人間の中に救いに至る力があるのか、どうかということです。単純に言うと、アウグスチヌスは「ない」と言い、ペラギウスは「ある」という。と言ってしまうと誤解されそうですが、それぞれ強調点が異なると言う話です。信仰者であればだれでも、この問題を神との親密な関係なしに語るのは不可能でしょう。召命についても同じです。神様だけが一方的に呼んでシスターになったのでもなく、自分がなりたかったからということだけでシスターになった人などいないはずです。そこには神様の呼びかけという見分不相応な恵みがあり、恐れ多くも自由意志をもって応えるという人間側の勇敢な行動があってはじめて実る修道召命なのです。

ともかく、私の場合、両親が偶然、カリタス会のシスターに出会ったことがきっかけで入会することになったのですが、本当の意味で修道者になること考えたのは、堅信の時でした。神様という存在が「イエス・キリスト」となり、人格的な存在として私を呼んでくださり、イエス様が生きたように人を愛すること、奉仕することをハンセン氏病の方から教えられたからでした。それはかなりショックな出来事でした。思春期の少女がその年齢らしくシスターになることを夢見たとしても、それだけでシスターになるまでには至らないと思います。かならず、このような人格的な呼びかけがあって「イエス・キリスト」という方に懸けるという選択に導かれる必要があると思います。


修道生活とやらは
ところで、修道生活には規則がつきものです。修道院には規定の制服に身を包んだ人たちが規則正しく生活している。これも間違いではありません。共同生活ですがから規律と時間割が存在することは当然です。しかしもっとも大切な点は、それが愛という目標によって貫かれていることです。人間は機械ではないのですから、いつも同じように生きることはできませんが、共同善と証のために自分を後回しにして他を優先すること、つまり愛のための選択が必要なのです。それはある種の縛り(それは結婚生活でも同じでしょう)です。でも愛する人のためなら何でもできると私は思います。

こうして生活する私たちの生活は、長年すればするほど それが捨てる生活、脱ぎ捨てる生活だと理解できるはずです。削られていく生活です。結婚した人が主人や妻のために自分を犠牲にして相手を生かす行為と似ています。自分のことは二の次になり、相手のために自分が本来したかったことなど、問題にならなくなる。そんな生活です。そして相手を生かすこと、それがいつの間にか自分が生かされていることだと気づくのです。自己実現のために修道院に入る人はいません。修道者になったのなら、イエス様のように自分を人のために自分を投げ出す覚悟で生涯、奉献の道を歩みます。人々を救うために、いつの間にか十字架の上にまで導かれることになったイエス様のように。


恩恵と自由の中で
シスターになりたいと思った動機はそれぞれでしょう。しかし共通する点はイエス・キリストが名指しで呼ばれたからです。愛する人が呼ぶのですから応えないわけにはいきません。愛するのに理由はありませんから、これは「恵み」です。
実は召命をめぐって、自由と恩恵の攻防は私たちの修道者一人ひとりの中で、今も繰り広げられています。しかしこれはやはり、神秘です。恵みを受け、それに自由意思で応えるという「生きる」プロセスの中でしか語れない道です。この自由意思がより神様のみ心にかなうように恵みに気づき、愛されていることの確信を日々深めたいものです。この深まりの中から、召命は本来生きられるものだと思います。

シスターになるための準備
シスターになるための準備

シスターになるための準備、一言で言うと身辺整理について考えます。
学生のころ、試験勉強を始めようと机の整理をしたところでタイムオーバー、そのまま試験に臨んでしまった記憶がいまだに鮮明です。また、ちょっとましな場合は、試験の前にノートをまとめたところで終わったことも何度もありました。人は何かをしようとする準備にこそ、生きがいを感じるようです。少なくとも私の場合はそうでした。

シスターになるための準備、確かにしたような記憶があります。修道院に入りたてのころは志願者として生活するのですが、私服を着用しているし、修道生活を見学するような軽い気持ちで自分が描いている価値の中身を覗き見しているような時期でしたが、これが修練期(修道生活そのものに接近して修道者のように生活する時期、)の手前の予備修練期(これを修練志願期と言う)に入るときにはそうわけにもいきません。腹をくくらなければなりません。制服もいただくし、何かこの世の栄華からの離脱という意識があったことを思い出します。

修練志願期に入ると制服をいただくので、そのときには「着衣」という言い方をするのですが、その着衣のために私は身辺整理をしました。具体的にはそれまで大切にしていた手紙を焼きました。ただし家族からの手紙は焼くことができませんでした。友人からのものは住所だけを控え、あとは焼いた覚えがあります。というように社会的なかかわりから自由になるという気持ちがありました。それまでのかかわりを捨てるということではありませんが、神様に集中するという意味合いだったのだと思います。しかし、後で思い返すと、あのとき、あの写真、あの手紙を燃やさなかったらよかったのにと後悔したことも事実です。とにかく、若かったのでそのときの情熱に任せて、人生の選択をしている自分に酔っていたのかもしれません。

少なくともその時には、自分が描いている価値、招かれている確信のようなものがそのような行動をとらせたと思います。呼ばれたことを知ったならどうにかして、それに応えようとするのが人間なのでしょう。それは、私を愛して呼んでくださっている神様への応答です。

さて、それでその準備したことは役に立ったのでしょうか?というと、役に立ったわけでもないような気がしますが、準備をしたという自分への責任を果たしたという感はあります。かえって「あれ、燃やさなかったらよかったのに」と後悔することもありました。準備が成功したわけではないということでしょう。

準備したことが効率よく役に立つものではありません。今感じることは、この準備することと、実際修道生活をしてみるというのは、本質的にまったく違うことだということです。ある意味で準備したことは何も役に立っていないかもしれません。しかし、人間は準備し、覚悟を決めて望む生き物なのだと思います。そこには人が持っている怖れと期待が交錯しているからです。そしてそれに応えよう、応えたいと思う気持ち自身がすでに神様の祝福なのかもしれないと思います。

召命は効率ではありません。効率よく召命が発掘され、福音が宣教されることをもくろむのであれば、優秀でよく働ける人を神様は選ばれるでしょう。しかし神様は私のような貧しい道具を用いられるのです。実に貧しい道具です。それはコリント書にあるように「わたしたちはこのような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるため」(1:コリントの信徒への手紙二、4章 7節)です。シスターになるためには、一皮一皮むけて、むいてみると中には何もなかったりするかもしれませんが、それでいいのです。私は私を宣べ伝えるのではなく、神様の絶大な力、愛がすべてにとってすべてであることを告げ知らせればいいのですから。


そのための準備? 神様への方向性を持ち続けること、その先の道で神様が本物の準備をしてくださるのだと思います。

神様との三つの約束(三誓願)
神様との三つの約束(三誓願)5

一般の人との違い?
修道者、シスターたちを見た人はだれでも、その浮世離れ?した様相が気になり、ある人は「ダサイ」と感じ、ある人は「清らかさ」を感じると言い、日本社会の場合、両極端の評価になることが多いのではないかと思います。あとはまったく関心がないか。この三つに分かれると思います。
流行を求め、粋な生き方を目指す人にとってはたしかに「ダサイ」生活ですが、一方で宗教に少しでもなじみのある人は「清らかな感じ」と評価してくれるのだと思います。しかし最近、よく言われている健康的なライフスタイル、自分流の幸せを追及する現代人にとってはそう「ダサイ」生活でもないのではないかと多少自負しています。そうなのです。私たちは私たちなりの信念と幸福度を享受しているわけで、その理由を今日は本質的な意味でご紹介しようと思います。本質的と言いますのは、私たちの生活について、これまでいろいろと紹介してきましたが、その核心となる部分について今回は言及しようと思うからです。

実は約束にある。
私たちの生活のその「ダサさ」、しかし当の本人に言わせれば「自分流の幸せ」というものは、神様との「約束」にあります。しかし、この約束はいわゆる約束ではなく、カリスマ(恵み)の印を帯びています。どういうことでしょうか?私たちは基本的に「貞潔」、「清貧」、「従順」という三つのことを神様に約束します。それを「誓願」と言います。しかしその誓願は実は約束というよりは「カリスマの印」を帯びていると考えると分かりやすいと思います。
そもそも人が約束をするときには相手に対するそれなりの信頼が前提で、それがなければ約束は成立しないでしょう。私たちの誓願もそのとおりです。神様に対する信頼というか、それを超える賜物である「カリスマ」をその人なりにいただいているので、約束できるのです。神様に誓いを立てることができるのです。

どんな約束?
誓願には三つあります。「貞潔」、「清貧」、そして「従順」です。簡単に言えば、独身で貧しく、そして神様のみ旨に従って生きることです。
貞潔…神様が「私が相手になってあげよう」と申し出ているので、それに応えるというものです。神様が相手になってくださると、人間はすっかり夢中になってしまうので、この賜物をいただいた人は「貞潔」の誓願を立てたくなるのです。
清貧…神様が「私の心をすべてあげよう」と言ってくださるので、それだけで世界中のものを手に入れたように満たされ「清貧」の誓願を立てたくなるのです。
従順…神様が修道会の中で道案内をしてくださるというので、それに全幅の信頼を置いて「従順」の誓願を立てるのです。

誓願式
しかし、結婚生活もまったく同じでしょうが、いわゆる順境と逆境というのが私たちの修道生活にもめぐってきます。ある日突然、イエス様を超えるような魅力的な男性に出会うとか、実は小さい頃から好きだったこの「宝石」に一瞬目がくらむとか、あるいは自分の主張は絶対に曲げられないと思うことなどもあるでしょう。
人は決定的な出会いをしながらも、その情熱を一生同じような熱さで保持することはできません。ですから、人の前に公に約束する儀式を行い、この弱い私に義務を課して神様の恵みを願い、皆さんに祈りを願うのです。それが「誓願式」というものです。

その生きる道は・・・
イエス様の夢中になって生きる「貞潔」とイエス様に満たされて他のものを放棄する「清貧」はある意味で、ライフスタイル、信念のようなものです。しかし「従順」はその道を歩むときの道しるべに似ています。山を登っていてこの道しるべに従って進むかどうかは私にかかっています。状況を把握する理解力と自由意志と決断によってその道しるべに従うか、否かを決定するのです。従うにはその相手、いわゆる道しるべに対する信頼が不可欠です。修道会の中で管区長や総長を愛し尊敬するシスターたちの姿は、そのよい表れだと思います。また私がこの修道会のために何ができるのかと考えるセンスも修道会に対する健全な精神の表れだと思います。(もし、私のために修道会は何をしてくれるのか?と目論んでいる人がいたら、その人は修道会を利用して自己実現しようと企んでいる人かもしれませんから、要注意です!)

誓願を立てた者の使命
前に、この誓願、約束は神様からのカリスマ(恵み)によるもので、それをいただいたあまり、それに応えようとした人間の行為が約束、誓願なのだと書きました。神様の恵みそのものはこの世の中では見ることができません。イエス様は、その生涯を通して神様の愛を完全に表されましたが、私たちは神の子ではありませんから、完全に表すことはできません。しかし神様から特別な恵みをいただいており、それに応えようと誓願を立てたのですから、その恵みをこの世で自分流で証する、具現化して、神様の愛の証の片鱗でも担いたいと思うのです。
なんとも畏れ多く、おこがましい限りですが、神様は残念ながら、私たちの弱い手と足、この姿を用いてご自分の愛を示そうとお考えなのです。実に効率の悪い方法です。それは神様が私たちの中で十全に働くことを成し遂げられるから、それでよいのだと聖書にはかかれてあります(「わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために」。 コリントの信徒への手紙二、 4:7、「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」。( コリントの信徒への手紙二、12:9)
私たちの弱く、貧しい姿がどうやって神様の存在を証しできるのか、実に世紀の一大ミステリーですが、どうかこのミステリーがスキャンダルになることだけは避けたいと願いつつ、そのために神様の恵みと皆さんのお助けとご指導を請うばかりです。

シスターの共同生活
シスターの共同生活

修道院の生活は・・・
今日は、皆さんに私たちの生活様式を少し紹介したいと思います。ご存知のとおり、ずばり私たちの修道会の生活は共同生活です。隠遁生活ではなく、社会の中で修友とともに基本的に同じ時間割で生活しています。基本的にというのは、体調や仕事などによって例外もあるという意味です。「社会の中で」と言うと、お母様方はよくご存知でしょう。そうです。毎週のゴミ出しの決まりとか、スーパーの安売りの曜日とその品目などをよくわかっているという意味です。そういうことをも熟知した女性の集まりなのです。この社会性に富む生活の知恵を持ってはじめて、私たちは地域の社会の中でどうにかご近所さんとも仲良く連帯して共同生活を営めるのです。その私たちの共同生活ですが、それぞれ事情によって人数はことなり、3人から多くは30名以上の共同体になることもあります。

なぜ共同生活なのでしょうか?
修道会の規則書である会憲(2条)を見てみましょう。私たちの共同生活には目的があります。それは「すべての人、特に貧しい人、苦しんでいる人に対するイエスの憐れみ深い愛を証する使命」のためです。共同生活をすると生活費が安上がりだからではなく(実際にはそういうメリットもあります!)、貧しい人のために奉仕する使命のために一番よい生活スタイルと考えるからです。
なぜでしょうか?  
結婚生活を経験されている方は赤の他人と生活を始めることがどんなに大変が身にしみてお分かりだと思いますが、修道院の共同生活もまったく同じとは言えませんが、自分の弱さ、小ささ、醜さなどを十分に体験します。この挫折、いわゆる「負け」の経験があってこそ、小さなものに仕えるための心が養われるのだと思います。小さい人と心を通わせることができるのは、自分が貧しく小さな人だと分かっている人だけですから。だから好きでも嫌いでもとにかく共同生活で苦労しながら使徒職で貧しい人に仕えることが私たちの生活スタイルなのです。

かかわりの達人
ところで、共同生活に関しては社会的にも神学的にもいろいろな意味づけができると思いますが、私は人間関係の立場から、「かかわり」にその意味があると思います。旧約聖書にもありますが、人はひとりでいるのはよくないと言って神様は伴侶を造られました。これは何も男性と女性だけに限らず、広く解釈すれば、人はかかわりを通して存在すべきだという、創世記が書かれたときの人間観がベースになっていると言えるでしょう。
よく「仕事のよくできる人は多重人格だ」とか言われますが、それはいろいろな場合と相手と場所によって自分を適応させることのできる人だということでしょう。つまり時と場所に応じでふさわしくかかわることができるということです。修道者ですから「仕事のよくできる人」を求められることはありませんが、少なくとも私たちが 「和解の使徒」となるためには、いわゆる「かかわりの達人」とまで言わなくても、かかわれる人にならなければなりません。
人は宗教なしでも人と共感し、分かち合い、命に触れ、生かされます。それをあるときには「ぬくもり」とも言うのです。昔、こんな歌がありました。


 悲しみに出会うたびあの人を思い出す。こんな時そばにいて肩を抱いてほしいと。
 なぐさめも涙もいらないさ、ぬくもりがほしいだけ。
 ひとはみな 一人では生きてゆけないものだから。
 (「ふれあい」 作詞:山川啓介 作曲:いずみたく)


とあるように、人間的に見ても共同体の温かさは使徒職のための力を与えてくれます。
とはいえ、この共同生活は安らぎばかりを与えてくれるわけではありません。ストレスの原因にもなりえます。これが血のつながった家族ならそうでもないかもしれませんが、そこはさすが赤の他人です。しっかりストレスを受けるし、また与えてしまいます。そのために私たちは苦労しますが、つぶされはしません。それは共同生活をしながらも、自分と神様の絶対空間を持っているからです。そうです。絶対に人に踏み込まれない私と神様の絶対空間、つまり絶対的な関係があるのです。

シスターの祈りの生活
シスターの祈りの生活

修道者、シスターというと、祈るのが仕事と考える人が多いと思います。一般の方々が自分の家庭、仕事のために自分を捧げるのと同じように、わたしたちも神様(実際は修道会の管区長から)に与えられたミッションのために時間とエネルギーを使いますが、その内容の如何にかかわらず、それは即祈りと言えます。確かにその意味で修道院は祈るところであり、それがわたしたちの仕事でもあります。

教会の心?
「教会の心」になりたいと言った聖人がいました。教会つまり神様の住むところで、その中心である心(言い換えれば魂?)になりたいと言ったわけです。教会は神様の家であり、その家を見る人は神様がどんな方であるかを知ります。そういう意味で、教会は「神の愛のしるし」と言えるのですが、その中で心になるとはどういうことでしょうか?心、心臓とも言えるその核心的な部分、それは愛そのものではないでしょうか?教会を教会たらしめているものは神様の愛なのですから。
その聖人は教会の中で「神様の愛」の中の「愛」になりたいと望んで自分の命を捧げました。その生涯はまさに祈りの生涯だと言えるでしょう。
わたしたちも同じように、身の程もわきまえず、神様の心の中心に自分を置いて欲しいと切に願い、生涯を神様と人のために捧げると約束した者たちです。

祈りの生活
ところで、具体的にわたしたちがどんな祈りをしているかを少しお話しましょう。共同体全体として共に祈る時間的は、一日にトータル3時間程で、朝は朝の祈りと黙想、ミサ、そしてロザリオの祈り、お昼にはわたしたちの修道会固有の祈り、午後に聖体礼と晩の祈りと霊的な読書などがあります。
 これは会憲に定められたいわゆるノルマとしての祈りですが、個人的に聖堂で祈る時間は各自様々でしょう。特に外出前後に聖堂に立ち寄って聖体を訪問する習慣などは本会の修道院でよく目にする光景です。というように、祈りの時間というよりは、その日一日がミサの奉献にあわせた「私なりの奉献」になるように、一日にわたって祈りの中に身を置くのです。それが教会の心となりたいと誓ったわたしたちの祈りの生活なのです。朝のミサが一日のすべての業を先導し、霊的に深め、どんなに高く、遠くまで飛んでも疲れない鳥のように、その祈りが神様の愛の大気の中でますますわたしたちに力を与えてくれる、そんなダイナミックな祈りの生活です。

ダイナミックな生活?
 と書いたものの、なぜそれがダイナミックといえるのでしょうか?ミサに続く祈りの生活の関係を指します。信徒の方であれば、ミサの意味はよくご存知でしょう。ミサはこの世を、そしてわたしたち一人ひとりを最期まで徹底的に愛してくださる神様が、ご自分を余すところなく奉献してわたしたちが完全に神様のものとなるようにしてくださった秘跡です。つまりわたしたちを100パーセント愛してくださる神様の行為なのです。私が何かに寄るのではなく、何の理由もなく神様の100パーセント愛していただいていることを示す秘跡なのです。条件なしの愛です。だからこそ、こんなわたしたちでも神様の愛に頼って生きられるのです。ミサにおけるその愛の神秘を一日の祈りはさらに深め、落ち込んでいるときには初心(つまり神様がそんなあなたでも愛してくださっていること)に帰らせてくれる時間なのです。私にとって祈りとはまさに、神の愛を確認する時間です。

祈りの生活の結実・わたしたちの誇り
 神様に愛されていることを確認する時間が祈りであるならば、その実りは何でしょうか?愛とは即「温かくかかわること」であり、神様が私を愛して下さるとは、私にもその愛が生じることであり、私がこの世での人とのかかわりの中で神様の愛のメッセンジャーになることです。つまりわたしたちの祈りの生活はそんな愛の広がり、浸透、展開をこの世にもたらすためなのです。私たちは弱く 何のとりえもない存在であったとしても、神様の心の中心である愛を全世界にもたらす使命をいただいていることを誇りに思っています。

シスターの家族との関係
シスターの家族との関係

修道院に入ると家族とは絶縁?というのは昔の時代の話であって、今はそんなことはありません。しかし、ある意味でそうだとも、言わなければならないかもしれません。

「捨ててこそ得る」。仏教の教えのようですが、キリスト教も実は逆説の真理が満載の宗教だと思います。旧約聖書ではアブラハム、自分の故郷を捨てて出発しなさいと言われ、故郷ハランを出発したからこそ、彼はイスラエルのおびただしい子孫を生み出す太祖となります。そしてイエス、あの残酷な十字架の死という人間的に見れば、完全に失敗の人生が全人類を救う救済の業となったのです。神様のなさることはいつも逆説的で私たちには推し量れないほどの深い真理が秘められています。修道者にとっての家族との関係もそんな深い真理に基づく側面があるかもしれません。

召命が実現するためには3つの原則があります。招く方(神様)、応える人(私)そしてそれに協力する人です。この3番目の人は第一に家族、友人などが挙げられるでしょう。そうなのです。家族が一番の協力者なのです。しかし、一番最初に切られる存在でもあります。「切られる」という表現はちょっと冷たい感じがしますが、何かを獲得するためには、一番大切なものをあきらめるという自然の法則を意味します。「切る」というのはある種のイメージで、親の思い(一人前の結婚をしてほしい等)を振り切って、神様のもとに行くということです。そこになにがしかの「切る」的な要素があるかもしれません。
脳科学的にみても、何かを獲得するために、他のものを捨てるという選択が目的達成のための機動力を高めるという話を聞いたことがあります。その意味で捨てることのできる人は生産的な人なのだそうです。

このように書くと、家族との関係が何か絶望的に聞こえるかもしれませんが、実際はそんなことはありません。実際問題、家族と縁を切るわけではありません。ちなみに修道者はいつまでも両親の戸籍に入ったままです。シスターになるまでの数年間は基本的に連絡を取らずに修練に集中する期間がありますが、それ以外は連絡をしっかり取り続けています。両親が病気だといえば、可能な範囲で駆けつけて介抱しますし、両親が亡くなると最後まで家の整理とか書類の問題を解決するのは大概、修道者の娘の仕事でしょう。日ごろちょくちょく家にはもどれないにしても、決定的な時、本当に必要な時には、修道会は寛大な配慮をするのにやぶさかではないのです。それは家族が召命の第一の恩人だからです。

ある宣教女の母親の話です。その娘は貧しい国で子供たちのために働いています。あるときこんな手紙が私のもとに届きました。「一人娘を遠くに送ったからか、代わりに神様は娘のような若い人をたくさん私のもとに送ってくれています。教会の子供たち、ボランティアの仲間、そして最後にはお隣に引越ししてきた同じカリタス会のシスターの妹さんです。」この母親は捨ててこそ、多くのものを得たのだと思います。この手紙を読みながら、お母様の寂しさとうれしさが混在した深い信仰に感動しました。
またある司祭の母親は息子の叙階のときにこのように書きました。「神様、これまで息子を育てさせていただいてありがとうございました。今、あなたのもとにお返しします」と。彼女は熱心な仏教徒でした。

 修道召命、実は本人はもとより、家族こそがその深い召命の恵みを生きているのではないかと思います。神様が本当にこの「召命のために」お呼びになったのは、修道者になるための私よりも、それを陰で支える家族一人ひとりなのではないかと思います。

シスターの制服
シスターの制服

今回は私たち修道女の制服についてお話しましょう。日本では全体的には制服を着ているシスターよりも私服を着ている人が多いようですが、国によってその割合は異なるでしょう。それほど洋服というのは、その国の文化、あるときには歴史と深くかかわっているからでしょう。日本の場合、カトリック信者は人口の0.4%にも満たないので、修道女の姿があまりにも特異に映ると逆に宣教の妨げになるかもしれないからか、一般の方々といっしょにいても違和感のない、目立たない服装になっていると思います。一般的にはワンピース、あるいはベストとスカートというスタイルが普通だと思います。色は黒かグレーでしょう。

私たちのカリタス会の修道服も例に漏れず、日本管区の場合、グレーのベストとスカート、あるいはジャンバースカートの二通りがあります。日本管区の場合と言ったのは、同じカリタス会でも管区、地域によってつまり気候と文化の相違によって多少の違いがあるからです。

中世ヨーロッパでは修道服は当時の貴族の夫人の服装をより質素にしたものだったといわれています。私たちの修道会は日本の宮崎で77年前に創立されました。その当時の婦人の服装となると、戦前の日本ですからよくて着物、悪くてもんぺということになりそうですが、そこはカトリックの伝統を踏襲したもので、当初は従来の修道会の修道服に似せて長いベールと裾の長い黒の修道服でした。それが時代と共に変わり、スカート丈が若干短くなったり、スカートのひだが少なくなったりしましたが、近年になってワンピースから脱皮してより活動的で着脱が楽なベストとスカートの組み合わせになりました。オフィスレディーのようなというと、ちょっと語弊がありますが、ごく一般的な服装になったということです。
どんな形であったにしても、制服には基本的に二つの意味があります。それは清貧の証と共同体の証です。この二つをあわせて言えば、「修道者のしるし」ということです。清貧の証というのは、たくさんの洋服をもっておらず、ある一定の洋服だけを着用するというシンプルさを意味し、その素材も高級なものではないという意味です。共同体の証というのは、つまりその修道会ならみんな一緒のものを着ているという「ひとつであることの証」です。間違っても全体主義とは異なる、神様からこのカリタス会に呼ばれた者同士のある約束ごとのひとつと言ってよいでしょう。しかもそれは外面的に見えるものですが、実は見えない絆、精神、カリスマを表現しているのです。

ところで、修道服にはベストとスカート以外に大切なものがあります。それは修道会独自の十字架(あるいはバッチ)です。その十字架にはS とCの文字が上下に入っています。それはイタリア語のSacro Cuoreの略、つまり「イエスのみ心」を表現しています。またSuore della Carità di Gesὑ、それはイタリア語のイエスのカリタス修道女会という意味ですが、その頭文字のSCでもあります。さらに、十字架を鎖に繋げる部分には3本の線が入っています。それは清貧、貞潔、従順の3誓願を表現しています。毎朝、制服に接吻して押し頂き、十字架を首にかけるときに、私たちはイエスの愛の虜になって、今日も一日、その道具になることを誓うのです。
ちなみに、三誓願を表現している3本の線の入った留め金ですが、たとえば、フランシスコ会の場合は、T(タウ)の十字架の紐には三つの結び目があり、それが三誓願を表現しているそうです。フランシスコ会ではないある修道会の司祭がそのことを知らず、首にかけようとしたらどうも窮屈だったので、迷うことなく、その紐の結び目を解いて紐を長くしたそうです。それを見たフランシスコ会の神父様が「君は誓願を解く気か?」と聞いてきたので、その神父様はあわてて3つの結び目を作ったという話です。それぞれの会で誓願のしるしは様々のようです。
「ぼろは着てても心は錦」という歌のせりふもありますが、私たちはその反対で「美しい羽が美しい鳥をつくる」つまり「馬子にも衣装」のように、形から整えて、それにふさわしい中身を磨くというスタイルです。弱いので外を整えて中を整えるということです。
そのおかげで実際助かったことも何度かあります。修道服を着ていることでシスターであることが分かり、声をかけてくる方も少なくありません。殺伐としてこの日本の社会の中で、この制服が少しでも悩み苦しむ人のオアシスにもなればよいと願いますが、問題はその中身です。まだまだ制服に助けられているとはいえ、分不相応な格好をしていることも認めています。今度ともご鞭撻の程をよろしくお願い申し上げます。

シスターと音楽活動
シスターと音楽活動

先日12月8日は、イエスのカリタス修道女会の一員として、以前もお知らせしましたが神様に「三つの約束をする」初・終生誓願式が行われました。その式に40年ぶりに参加したという今年修道生活50周年を迎える宣教女のシスターが、感慨深そうに次のように言いました。「久しぶりに参加したけれど、式も歌も荘厳で創立者を思い出しました。カヴォリ神父様は、よく練習して聖歌を歌うように言っていましたから」と。

私たちの修道会では、御ミサや祈りの時の聖歌をよく練習して歌うことを、創立者の教えとして大切に受け継ぐように努力しています。現在、スモールクワイアという聖歌隊が、修道院の外でも、歌を通して神の愛を届けるために活動しています。このスモールクワイアという名称には意味があります。以前、全員で歌の練習をする日をビッククワイアの練習の日。聖歌隊だけの練習日はスモールクワイアの日としていました。つまり、全員で歌の練習をしていたのです。ビッククワイアの練習日は、だんだん減ってしまい、同時にその呼び名も使わなくなりましたが、スモールクワイアは以前と同じように継続しています。

 スモールクワイアの構成メンバーは、志願者、修練者、そして管区本部周辺の修道院に居住しているシスターたちです。現在、自主制作のCDは4枚ですが、2002年に最初のCD「わたしをお使いください」をリリースしたのがきっかけとなり、教会や刑務所、学校にも招いて頂き、また被災地での活動も行うようになりました。私たちの歌についてみなさんがおっしゃるのは、「ことばが心に響く」ということです。これは、本当にうれしいことです。

キリスト教の世界、そしてさかのぼればユダヤ教の礼拝の中で、みことばを味わい、会衆によく聞こえるようにと詩編が歌われていたようです。聖書で「詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。」(エフェソ5章19節)と言われているように、初代教会の祈りにおいても歌うことが勧められていたことがわかります。この流れで、修道生活においても、祈りが歌になり、それがグレゴリオ聖歌として編纂され、聖霊のインスピレーションを受けて他の賛歌が歌われるようになり、現在に引き継がれています。また「歌う人は倍祈る」とか「10倍祈る」と言われているように、祈ることと歌うことは切り離すことができません。

私たちはコンサートで聖歌を中心に歌をお届けしています。それは、ある刑務所の署長さんから「一番感動を与える歌は聖歌でしょう」と励まされたことにもよります。先日は、ある小学校で歌った時、小学6年生の「歌うことは祈ることという意味がよくわかった」との感想をきき、祈りを込めて歌うことの大切さを再び実感いたしました。

修道生活と音楽活動を考える時、歌うことは祈ることですから、音楽活動も場所が変わった祈りの時間といえます。このことを私たち自身がしっかり心に刻み、出会う方々との神への感謝、信頼、賛美の祈りの時として、これからも音楽活動に励みたいと思います。

  

修道院の行事
修道院の行事

修道院には特別な行事があります。それぞれの家庭独特の行事、習慣があるのと似ているかもしれません。その筆頭に上げられるのが、聖体行列です。一般的には新しい教会、聖堂が建立されると、それまで別の場所に安置されていたご聖体を新築の教会に移すために行列する際の聖体行列しか思いつかないかもしれませんが、私たちは主のご聖体の祭日に聖体を奉持して修道院の近所を練り歩く聖体行列というものを伝統的に行っています。

 宮崎で修道会が創立される前、宮崎教会で行われたのがその起こりです。1929年3月15日に宮崎教会の主任司祭である私たちの修道会の創立者、サレジオ会のアントニオ・カヴォリ神父様が企画しました。彼の『回想録』には次のように書かれています。「1931年、私は町の大通りで荘厳な聖体行列を行うと考えました。私のこの考えは向こう見ずな行動とも思われましたが、結果は大成功でした。一万人余りの未信者がこのめずらしい行列を見て、信者らの信心の深さやまじめさに敬意を払い、心を打たれました。このことは大きく新聞に取り上げられ、長い間人々の話題となりました。」(114項)

 この年の2年前には世界恐慌、その年の秋には満州事変も起こり、軍事的にも緊張した国際関係の中で、社会的には「乞食児童」と呼ばれる子供たちが巷にあふれ、東北、北海道では冷害のために没落する家もあり、いわゆる「身売り娘」が増大していた時でした。そんな世相を一掃するかのようにカヴォリ神父様は宗教的な一大行事をやってのけました。聖体行列は宗教行事ではありますが、当時の信者でない、いわゆる「見物」に来た人にはある種の文化的な行事ともうつったようです。聖体行列のあった5月18日の宮崎新聞には「飾られた街を行列は進む-異国情緒を見せた聖体の日」という表題で報道され、「カトリック教の講演会-キリスト教と経済を説く―」と続いて、その日の講演者として戸塚文卿神父様と鈴木券太郎師の名が記されています。40ページにも及ぶ聖体行列の小冊子を見てみると、行列の主旨、プログラム(前晩からのお祝いの打ち上げ花火、講演会など)、行列の順番(そこに参加団体が明示されている)、などが記載されていて、盛大な行事であったことが伺われます。

 カリタス会における聖体行列の起こりの話はこのくらいにしておきますが、その伝統を受けついた私たちの修道会、特にここ日本の管区本部においては、聖体行列をずっと続けています。85年前の聖体行列ほど盛大ではありませんが、その意志を継ぐべく聖体への敬意とその秘跡にこめられた人類への神の愛のすばらしさを行列という形で表明するのです。

 聖体行列というのは、文字通り聖体を奉持して私たちのためにご聖体となったイエスの奉献をたたえ、その奉献に倣おうとする信徒の信仰を公に宣言する行為です。実際、85年前、宮崎で行われた聖体行列の小冊子でも聖体の意味を神学的、聖書学的に丁寧に説明し、精神世界に人々が開眼するようにと、そして究極の目的は一つになることであるとするキリストの教えを力強く説いていますが、当時の世界情勢を考えれば、それは納得できるような気がします。

 それでは現代、私たちにとって聖体の秘跡、聖体行列がどういう意味を持つのかというと、それはやはり同じように一つになることだと思います。神様と人との一致、人間相互の一致、エキュメニカル(キリスト教教派を越えた)な一致です。聖体は一致そのものであり、教会の心臓なのです。
イエス様はご自分が十字架につけられて亡くなる前の晩、このように語られました。「彼らのためだけでなく、彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。 あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。 わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります 」(ヨハネ17:20-23)。この祈りを実現するためにイエス様は十字架につけられ、ご自分を人類のいけにえとしたのです。その代償の死を思い出すために、記念として残された聖体。この聖体に養われる私たちは神のいのちに生かされ、そのいのちを小さな人々のうちに輝かせる使命を持っているのです。このいのち、愛の真髄こそカリタスです。
「愛である神、いのちにあふれた神のいのち」という宗教的、文化的、精神的な絶対の価値を、この現代において勇敢に証する使命をもつカリタス会が大切にしてきた行事、それは85年の歴史を刻んでいる聖体行列なのです。


 


最初は?
最初は?

シスターになるために必要なことは何でしょうか?
その一つは“神様によって招かれること”シスターになるための召命のお恵みです。
“神様に招かれる”とはどういうことなのでしょうか、こちらの若いシスターに尋ねてみました。

私の最初の“招かれる”きっかけは、教会のシスターに声をかけられたことでした。
「今度、志願院でキャンプがあるんだけど、行ってみない?」小学4年生の時です。『わーい!旅行だ!!』引率のシスターや友達とともに、喜んで行きました。志願院での3日間はとても楽しくてあっという間に過ぎていき、単純な私は、帰る頃には『シスターっていいな』と思っていました。
 それから毎年参加するようになり、6年生の冬、志願院のシスターが私の気持ちを聞くため、家庭訪問をしてくれました。その頃ちょうど、学校の友人関係に悩んでいたこともあり、自然に4年生のときに感じたあの賑やかな雰囲気とシスターへの憧れがよみがえってきました。今から考えると「その時の状況から逃げたい気持ちもあったのかもしれません」両親が私の気持ちを知っていたかどうかわかりませんが、信仰には熱心だったので志願院へ行くことを喜んで認めてくれました。

 ・・・こうして12年が過ぎ、誓願を立てるお恵みを頂き、今は、幼稚園でお仕事をしていて、元気一杯な素直な子どもたちと一緒に過ごすことができているといいますか、子どもたちに助けられている日々です。子どもたちは、一人ひとり違っていて、そして、どの子も精いっぱい神様から頂いた“かけがえのないいのち”を生きているんだな~と 自分の拙い話を真剣に聞いてくれて、実行しようと頑張る姿に本当に教えられ、実感させて頂いています。

 今、改めて振り返ってみると、私がこうしてシスターとして生活しているのは、ただただイエス様からのお恵みによるものなんだと感じています。嫌な事、つらい状況からすぐ逃げようとするところは変わっていません。今の使徒職も、周りにいる多くの方々に助けられながら、叱咤激励されながら、時には、迷惑をかけながら… しかし、何とか果たすことができています。
 イエス様は、小学生の私の気持ちを上手に使い、その時の小さな私の召命を、様々な出来事、多くの人との出会いを通して成長させてくださり、誓願という本当に大きなお恵みへと変えてくださいました。そして“大きなお恵みへと変えてくださるイエス様のわざ”は今もずっと続いており、きっと生涯、続くだろうと願っています。
 必要な力を与えてくださるイエス様への感謝のうちに…

召命の芽生え
召命の芽生え

シスターになるために必要なことは “神様によって招かれること:召命のお恵み”
それはどのように芽生えたのでしょうか?             


私の召命のきっかけは、小学4年生の時マザー・テレサの本を読み、「こんな人になりたい」と思ったことでした。その後、親戚のシスターとの文通を通して、この召命の種に水が注がれたのだと思います。この文通により、祈ることの大切さを教えられ、朝起きると短い祈りをするようになりました。
さらに小学6年生の時、修道会の召命の集いに参加し、志願者のお姉さんたちの明るさ、優しさに触れ、入会したいと強く思うようになりました。父方・母方の祖母には反対され、父からも「楽しいだけじゃないぞ」と念を押されましたが、私は志願院に行くことしか考えられなかったため、「好きなようにしなさい」と両親の承諾を少々強引に得ることができました。

 当たり前ですが、志願院では楽しいことばかりではなく、悲しいことも苦しいこと多くあり、高校生になった時には、“シスターになりたい”という夢も変わっていました。やめたいと何度も思いましたが、家族、友人、共に歩んでいる仲間たち、シスターたちに支えられ、“人生を大切に生きること”をいろんな形で教えて頂きました。
今、振り返ると、いつもイエス様が、身近な人の姿をとって共に歩んでくださっていたのだと気づかされます。「自己実現の道ではなく、神さまが準備してくださる道を歩みたい」これが私の今の願いです。

先日、召命の恩人と思える友人に会いました。彼女は、中学、高校と同じ学校だったので、私が夢を持って家を出てきたことも、家へ戻りたいと思っていたのも知っています。彼女が言いました。「シスターになった方がいいよ。と散々応援したけど、本当に結婚の道を捨てられたのはすごいことだよね」と。私は「すごいことではない、イエス様じゃないと私はだめなんだ」と答えることができました。結婚生活も、修道生活もどちらも祝福された生き方ですが、私は、修道生活に呼ばれ、応える力と恵みが与えられました。しかし、ただの受身ではなく、私は修道生活の方に自分にとっての価値を見つけることができたのも事実です。

 10歳の時に蒔かれた種は、多くの人に水をかけて頂き、そして栄養を頂きました。何より神さまの恵みと力によって、成長させて頂きました。小さな、小さな花ですが、今度は誰かの支えになる花に成長していきたいと願っています。

召命の恵み、それは偶然のような神のお計らい
召命の恵み、それは偶然のような神のお計らい

私は日本に来て5年、現在イエスのカリタス修道女会のシスターとしての歩みを始めています。私はベトナムから来たのですが、ベトナムではイエスのカリタス修道女会という日本の修道会のことは全く知らなかったので、今振り返ると不思議なことだと思います。神様の呼び方は一人ひとり違います。“召命とは?”私自身には理解できませんが、今、この修道会にいるのは神様が呼んでくださったからだと深く感じています。
私が「シスターになりたい」と思ったのは高校生の時ですが、いろいろなことがあり、すぐには修道会に入ることができませんでした。短大に入学してからも、心の中に奉献生活を送りたいという希望をずっと持っていましたが、どこの修道会に入ればよいのかわからず、ずっと不安でした。
1年生の時はフランシスコ教会に通っていましたが2年生からは別の教会に通うようになりました。卒業の1か月前に、試験のことや召命のことを考えて祈っていたある日、突然フランシスコ教会に行ってお祈りしたい、またそこで勉強をしたい(ベトナムでは普通に信徒会館にそのようなスペースがあります)と感じ、同室のお姉さん(通常年上の女性をこのように呼びます)に、勉強したいので自分をフランシスコ教会に連れて行ってほしいと頼みました。そのお姉さんは「勉強するなら町の図書館がいいのでは」と答えましたので、自分も「その方がいいかも」と思いましたが、やはり「どうしても行かなくては」と思い、バイクで送って頂き、フランシスコ教会に行きました。

 教会でお祈りをして、戻ろうとしている時に、イエスのカリタス修道女会の二人のシスターに会いました。シスター方は、教会の信者さんたちと話していましたが、すぐ私に目をとめて声をかけてくれました。そして、私にいくつかの質問をした後、「シスターになりたい思ったことはないですか?」と尋ねました。私は「シスターになりたいけれど、どこの修道会に入ればよいかわかりません」と答え、その日は、お姉さんが待っていたので、「また会いましょう」と簡単な約束をしてそれで別れました。シスターたちは毎日足を運んでくださっており、私もそれから続けて教会に行きましたが2日目は行き違いになり、3日目に再び会うことができ、シスターたちが宿泊している所を訪問しました。このようにして、イエスのカリタス修道女会の共同体に受け入れて頂き、その8か月後、2011年に日本に来ることができました。
 私は偶然の出会いによって、誓願のお恵みを頂きました。しかし、偶然のように見える、神様のいつくしみ深いお計らいに感謝をお捧げする日々です。また、私を受け入れてくれたこの修道会に心から感謝しています。