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いつくしみのしるしとなることができますように

  第9回 私の人生が“福音の歌”であるように 
−いつくしみの特別聖年の終わりに−


2016/11/1 



 10月21日から23日にかけて、バチカンのGiubileo delle Coraliという特別聖年のイベントに参加するお恵みをいただいた。イタリア全土から、小教区の聖歌隊と指導者、典礼に奉仕する信徒たちが集い、自分たちの使命を確認し、問題を分かち合い、ともに歌いながら聖年の扉に向かって巡礼した。
典礼は「キリストのわざL’opera di Cristo」。救い主キリストは、過去の思い出ではなく今、生きている。今日はっきりと、典礼の中で、私たちにご自分のいのちを糧として与えながら、救いのわざを続けている。典礼におけるキリストの現存と聖歌隊はどのようにかかわっているか。それを話してくれたのは、いつも教皇様の典礼祭儀を指揮しているMons. Guido Mariniだった。「聖アウグスティヌスは、歌うのは愛している証拠 Cantare è proprio di chi amaと言った。歌は、愛された心、愛する心の中で具体化する。私たちが今話題にしている『歌』は、キリストのうちにある神の愛にたどりつき、その愛によって救われた心から流れ出る『歌』。もちろん『歌の技術』には気を配らねばならないが、まず『歌う人間』に注意を払うこと。聖歌隊のメンバーは、常に主への信仰との熱烈なかかわりの中で生きている人間でなければならない」。キリストとの深い交わりにとどまっている人は、歌声だけでなく存在全体からキリストの魅力をあふれさせる。それが聖歌隊の役割だと教えられた。
 しかし実際は、キリストの魅力より「私の魅力」を伝えようとしてしまうのが聖歌隊の常。たくさん練習したときは、なおさらだ。だから教会に入るときは「私」として入らず(「私」を捨てて)、御父の「子ども」として、周りの人々の「兄弟姉妹」として入りなさい、とイエズス会のMarko Ivan Rupnik先生は静かに教えてくださった。教会の美しさは、建物や音楽自体よりも、その深みにあるComunione、神と人、人と人の交わりの美しさ。この交わりの中に生きる時、キリスト者のすることすべてが美しくなる、と話された。典礼の歌は、他の教会芸術がそうであるように、主の神秘の美しさと天の集いの喜びを映し出し、皆の手を取って主の道へ連れて行く役割を帯びている。
 このような学びの直後に、私は一つ、悲しい体験をした。聖年の扉を目指して歌いながら歩いている途中、近くにいた中年の女性たちからアジア人に対する嫌悪感がふと、にじみ出る。外国人はほとんど参加していなかったようだから、私は目立っていたと思う。移民、難民問題を抱えるイタリアの状況から、彼女たちの心の奥にも複雑な思いがあるのは理解できる。ちょうどその時歌っていたのはDov’è carità e amore, qui c’è Dio… 皆集まって、ひとつのからだを形作ろう、分裂を避け、兄弟として皆ひとつになろう… そのような歌詞だったので、ますます悲しくなり歌うこともできず、周りに気づかれぬよう一人で涙をこらえていた。国籍、文化を超えて、ひとつになるのは何と難しいことか。
考えてみれば、イエスの昇天後、初代教会からその難しさがあった。ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者。一緒に食事をするのも大変だった。でも、イエスがともにおられたとき、異邦人と付き合いのあった徴税人マタイと、絶対にそのようなものと関わりたくない熱心党のシモンは、ともに食卓を囲んでいたのだ。それはきっと、イエスが自分を心から大切にしてくれていて、同じように他の弟子のことも大切に愛しておられることを、2人ともよく知っていたからだろう…。早朝からこんなに悲しい思いをするのは予想外だったが、イエスの深い友情なしには隣のおばさんと一緒に歌うことすらできないと知ることができたのは、これまた予想外のお恵みだった。キリストに愛された心が兄弟を愛する心となり、そこから歌があふれる。「主のいつくしみ」を知った心の歌が。
「キリスト者であるということは、福音記者でもあるということ。私たちは自分の福音書を書かないといけない。イエスとの出会いの記録、イエスが私に語られたこと、してくださったことを綴り、伝えていく。自分のいのち全体が、福音の歌となるように」。これは、今年の聖マタイ福音記者の祝日に聞いた神父様のお話。私が伝えるべきことは毎日の小さな、イエスとの歩みなのだ。大切に、一歩一歩、イエスと歌いながら神の国を目指して歩んでいこう。


22日の教皇謁見。聖ヨハネ・パウロ2世の記念日と重なり、広場には10万人が集った。

 

23日の早朝、8,000人の聖歌隊の行列が聖なる扉を目指して歩く。