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カトリック教会の社会教説をやさしく学ぼう |
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ヨハネ・マルシリオ神父(S.D.B.) |
今年一年、ヨハネ・マルシリオ神父様(サレジオ会司祭)が「カトリック教会の社会教説」をやさしくひも解いてくださいます。神父様は50年前に来日され、現在は下井草教会で司牧活動をされながら、日本の教会のために多方面にわたって活躍されています。
一見難しく、なかなか馴染みにくい社会教説。神父様に解説して頂くことによって教会の教えに対する関心が高まり、学びを深める手掛かりとなるのではないかと思います。どうぞ、ご期待ください。 |
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[5] 「正義について」
「若者に正義と平和を教える必要がある」(ベネディクト16世、2012年元旦のメッセージ)。「カトリック教会の社会教説の基本的な価値は、真理、自由、正義、愛である」(社会教説要綱197条、現代世界憲章63・64条)。
今回は正義について短く教会の教えを見てみたいと思います。まず、福音書中に見られる正義についてのいくつかの言及を見てみましょう。
「義に餓え渇く人々は幸いである、その人たちは満たされる」(マタイ5,6);「イエスは聖なる正しい方であった」(使徒現行禄3,14);「マリアの夫ヨセフは正しい人であった(マタイ1,19);ザカリアとエリザベトは神の前に正しい人であった」(ルカ1、5)。
イエス・キリストの教えは愛の掟にまとめられますが、その中には神と人との関係に関することも含まれています。人間にとって正義に根差した環境に生きることは不可欠です。一人ひとりが正しい人で、正しく振る舞わなければ、この世界には不秩序がもたらされ、人間の心には不満が宿るようになります。「正しい人であること」「正しく振る舞うこと」「正義」とは何でしょうか。聖書には実例があり、イエスの教えもあります。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」(マルコ12,17)。この説明は次のように表現できるのではないでしょうか。「各々が各人に与えるべきことを与えなさい。神にも、人にも」。
さて、次にいくつかの正しいこと、また正しくないことをならべてみましょう:
☆ 正義とは、働く人に公正な報酬を払うこと:仕事をする人には仕事の実りを受ける 権利があると見なすこと
☆ 正義とは、人を認めること:その名誉や名声―神の子の尊厳―を配慮すること
☆ 正義とは、神の十戒を守ること:これこそ私たちの創造主である神に与えるべきこと
☆ 正義とは、人をゆるし助け、人に同情し、皆と平和に生きること
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不正とは、人のものを、正しくないやり方で、自分のものにすること;商売における詐欺、雇った人の給料を不正に払うこと;人の弱み・無知・必要に付け込んで価格を上げたり下げたりすること;あらゆる形の賄賂を行うこと
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不正とは、約束や契約を破ること;借金を支払わないこと;盗んだものを返さないこと;人を尊重しないこと;動物を無暗に苦しませること;自然界の資源を大事にしないこと
★ 不正とは、必要をしりながら協力を拒むこと;他の人の必要に無関心であること;
暴力・脅し・侮辱を用いること;差別待遇;人に損害を与えること
★ 不正とは、慈悲のわざ、人の身体と霊魂を助けるわざを怠ること
正義について自分の知識を絶えず深める必要があります。正義とは人間の心に培われ、人間の外部的な行いに現れるものです。正義とは自分と人を「パーソン」と見なし、人間関係を平和に保ち、共通善を顧みる徳です。正しい人であるため、また正しく振る舞うために、絶えず反省し祈ることが必要です。特にイエスのことばを考える必要があります。:「あなたがたは、自分のはかる秤ではかり与えられる」(マタイ7,2)
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