創立者 アントニオ・カヴォリ神父

1888年8月4日、イタリアのリミニにあるサン・ジョバンニ・イン・マリニャーノ村で生まれる。リミニ教区の司祭となった彼は、第一次世界大戦で従軍司祭の経験を経た後、宣教師となることを希望し、サレジオ会に入会。1926年、ヴィンチェンツォ・チマッティ神父を団長とする8名のサレジオ会員と共に日本へ派遣される。

カヴォリ神父の最初の任務は、宮崎教会助任しての役割であった。1929 年に主任司祭となった神父は、信者と共に、社会の中で最も貧しく小さな人々に愛の手を差し伸べる教会活動を活性化させた。ここにカリタス会の源泉となる最初の信徒のグループが誕生した。

カヴォリ神父は、さらに神の摂理への深い信頼のうちに、身寄りのない老人や子どもたちのための総合福祉施設「救護院」(後の「カリタスの園」)を設立した。救護院で働く女性信徒のグループは「愛子会」と呼ばれ、規則に従って共同生活を行っていたが、第二次世界大戦の兆しが見え始めた1937年、カヴォリ神父は上長であったチマッティ神父の勧めに従って、「愛子会」会員に呼びかけ、「宮崎カリタス修道女会」(イエスのカリタス修道女会に変更)を創立した。

愛徳の事業を通してキリストの愛を全世界の人々に伝えるという使命のために会員を養成し、宣教師として生涯を捧げ尽くし、1972年11月22日に東京にて帰天した。

共同創立者 ヴィンチェンツォ・チマッティ神父

1879年、イタリアのファエンツァ市に生まれる。2歳の時、ファエンツァ訪問中のドンボスコと出会う恵みを体験した彼は、その後サレジオ会員の間で召命を育み、1896年初誓願を宣立。その後、パルマ王立音楽院で資格を取得し、トリノ王立大学で自然科学『農学部』、哲学の博士号を取得した。1905年に司祭叙階されて以来20年間トリノのヴァルサリチェ学院で教師を務め、卓越した音楽家としての才能を発揮した。

1926年、当時のサレジオ会総長リナルディ神父によって、彼の宣教地派遣の長年の願いが受け入れられ、宣教師団の団長として日本へ派遣される。それ以来40年間、日本においてドンボスコのカリスマに基づいた司牧活動と宣教活動を展開した。 カヴォリ神父を修道会創立へ導き、窮乏や困難の中にあっても常に慈愛に満ちた父の心で忍耐強く、上長としてその活動を支え励まし続けたチマッティ神父は、その聖徳のゆえに教会において「尊者」として称えられている。