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家庭のきずな |
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最終回 『サレジオ家族のきずなに結ばれて』
シスター井口みはる
私は2年間、サレジアンシスターズの霊性コースで霊性を学ぶため、サレジアンシスターズのシスター方と過ごしました。そのコースで学ぶ40名ほどのシスターと10名のスタッフのシスターが生活する大きな共同体でした。その霊性コースはサレジアンシスターズのためのものですが、私の所属する修道会、イエスのカリタス修道女会は、サレジアンファミリーという30の修道会、活動グループで組織されている団体の一つということで、特別に一緒に学ばせていただきました。
そのコースのまとめとして昨年、つまり2013年の夏に、ドン・ボスコゆかりの地を歩きながら、彼が実際に行なったこと、彼が始めたオラトリオの初期の話などを聴き、それについて考え、分かち合いをする。というとても贅沢で貴重な体験をさせていただきました。
そこで体験したことの中の一つで、ドン・ボスコが建てたトリノの扶助者聖母の大聖堂に入ったときのことです。ドン・ボスコについても学び、彼の存在が少し近くなったので、この有名な大聖堂に入ったらきっと心が震えるほど感動するだろうと期待していました。ところが感動しなかったわけではないですが、感動するはずだった大聖堂であるにもかかわらず、毎日自分がそうしているかのように祈り始め、そしてドン・ボスコに向かって話しをしていたのです。自分がしていることがあまりにも日常的すぎたのでそのために驚きました。あとからの話しと、分かち合いで、この大聖堂、初めての人はとても感動するようなのですが、2回目、3回目あるいはそれ以上と回を重ねた人は、大聖堂に入った時感動するとういうよりも、“よく帰ってきたね”という、包み込むような暖かさを感じるそうなのです。この大聖堂に入るのが初めてではなかった私も例外ではなく、大聖堂に入ってすぐに「ただいま!!」とドン・ボスコに挨拶をしていたのです。ドン・ボスコが偉大な聖人ということだけではなく、イエスのカリタス修道女会のメンバーの一人である私にとっても父であり、その父を中心としたドン・ボスコの家族つまり、サレジアンファミリーという家族の一員であるということをあらためて自覚しました。
実は一年前の2012年の夏に、似たような体験をしていました。
1年間ともに学んだ仲間、サレジアンのシスター20名と一緒にサレジアンシスターズの発祥の地モルネーゼに行ったときのことです。到着したその日、私は聖女マリア・ドメニカ・マザレロの生誕の家に行きました。そこに入った瞬間、自分が家族の一員であるということをはっきり感じたのです。聖女マリア・ドメニカ・マザレロは私たちの修道会にとっては、実のところドン・ボスコほどの存在感はなく、どちらかというと馴染みの薄い聖人ですが、サレジアンシスターズにとっては、修道会の協働創立者であり、初代総長であり、模範であり、何よりも母であり、ドン・ボスコと並んで大切な聖人です。どうやら意識する、しないに関わらず、ともに学び、生活しているうちに、彼女たちが大切にしているものが、私にとっても大切なものになってきたのでしょう。それはファミリーとしてのきずながあればこそ感じることができたものではないでしょうか。確かに、以前はサレジアンファミリーといっても、いくつかの共通点はあるものの、実際はあまりファミリーという意識は持っていませんでした。ともに生活し、学び多くのことを共有することによって、私はサレジアンファミリーというきずなを感じることができるようになったのだと思います。そのためにわたしにはこの2年間があったのだと思っています。
きずなとは『断ち切りがたい人と人との結びつき』です。家庭のきずなは神様が結んでくださったものです。その結びつきは断ち切ることはできません。その断ち切りがたい結びつきに気づいていないことが多いのではないでしょうか。その結びつきに気づくために、共有する時間、あるいは共通のもの(者、物)はとても大切だと思います。
新しい一年、家庭の中で、あるいは共同体の中で共有する時間やものを増やすことによって、さらにきずなを深めることが出来たらと思います。
シスター井口みはる(イエスのカリタス修道女会会員)
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