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シスターの一日 

― 神と貧しい人のために ―


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2015/3/24


天使のお仕事
いささか古い話で恐縮ですが、1999年くらいのテレビ番組で「天使のお仕事」というドラマがありました。「ナースのお仕事」のシリーズのような感じで、観月ありさ主演でしたが、思いのほか人気がなかったと聞いています。それは日本の宗教的な雰囲気と無関係ではないと思います。シスターたちの仕事についてちょっとは興味があるが、それほど知りたいとは思わないという関心度なのだと思います。それにもめげず、今回は少し紹介してみたいと思います。
そのドラマの中で見習いシスターの主人公が積極的にボタンティアをしようということになり、公園でホームレスにシチューを振舞う場面がありました。それを機に、私たちの修道院でも山谷に炊き出しに行くことになり、なんともありがたいドラマとして印象に残っています。

さて、実際、私たちは毎日、この貧しい人のために炊き出しばかりをしているわけでもありません。特に、私たちカリタス会の場合は、社会福祉の事業、幼稚園などの教育事業も多く、その中で普通の職員として働いています。実際、お給料を手にしたことはありませんが(給与は一括して修道会の管区本部に送金されます)、仕事としては一般の方と同じようなことをしているわけです。私たちの仕事の特異なところはそれが「使徒職」であるということです。





使徒職?
仕事は人間として生活するために必要な活動であり、貧しい地域で働くほかのシスターたちのための資金づくりとしての行為でもあります。しかし本質的なことは、それが神様からの命令で、神様の愛を自分の存在で示す役割を担った「使徒」として、働くという点にあります。ですから私たちの仕事は単にお金のための「仕事」ではなく「使徒職」と言われます。しかし神様から派遣されるといっても、神様は見えないので、その見えない神様の代わりに修道会の管区長様から命じられて、それぞれの場所に派遣されて仕事に就くのです。

誰のために?
ところで、日々の使徒職の中で私たちが出会う人々はどんな人なのでしょうか? 社会福祉事業、教育事業の中で私たちが奉仕する対象は、貧しい人も、あるいはそこそこの生活を営んでいる家庭の人もいるでしょう。しかし共通するところは私の愛の対象であるということです。しかしその中で特別に光を放っている対象者がいます。それは「より貧しい人」です。
昔、中世の時代、ヨーロッパの教会ではいたるところに貧しい人がいて、教会の司教様方が直接、貧しい人のために奔走していました。ですから、司教様の個人的なタイトルの中に「貧しい者の父」などというのがあったそうです(貧しい人を友と呼んだ司教としてはレ・ミゼラブルのジャンバルジャンを助けたディーニュのミリエル司教を思い出します)。しかしそんな司教様たちも次第に社会の権力、富を手にしだすと、だんだん世俗化し、貧しい人を大事にしなくなり、今度は聖フランシスコのような聖人、修道者が現れて貧しい人のお世話をするようになりました。18世紀19世紀には女性の自立とあいまって貧しい人を助けるために多くの女子修道会ができたと言われます。というように、修道会創立と貧しい人の救済は切っても切れない縁なのです。

はじめに貧しき者ありき
私たちの修道会もそうです。カリタス会は今から約77年前に九州の宮崎で始まりました。その起こりは神に生涯を捧げる女子の集まりではありませんでした。救護院というところに貧しい人がたくさんいて、そこで働く女性たちによって、その慈善事業を継続させるために修道会が誕生しました。他の修道会の場合、女性としての理想を求めた若い女性たちの集まりがまずあって、何かをしようということになり、教育や貧しい人のために働き始めたという例が多いと思います。しかしカリタス会の場合は、「貧しい人」が主人公でした。修道会の前にまず、貧しい人がいて、そこに奉仕がすでに存在していたのです。貧しい人のいるおかげで修道会が創立されたのです。その意味で私たちの修道会の仕事、つまり「使徒職」は、この貧しい人のためであり、貧しい人一筋ということが言えます。

師である人
修道会のはじめの記録を見ると、男性も顔負けのすごい仕事をしていたことがわかります。なりふりかまわず、ひたすら貧しい人のために。それは聖書で言われる「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」という聖書の教えを信じていたからです。
また、私たちが貧しい人に奉仕するのは、彼らのためでありながら、この方々が私たちに大切なこと、つまり人間の本質である「愛」について「いのち」の絶対的な価値について教えてくれるからでもあります。
教皇フランシスコは次のように言っています。「貧しい人々から宣教される」ことが必要であることを若者たちに教えてください。「自分にはすべてが足りていると思っている人も、実は貧しいのです。自分の貧しさが何かを知るためには、貧しい人や、病気の人、助けを必要とする人々から、自分自身が教えられる」のですと。
たしかに山谷にいってホームレスの人に奉仕しようとしたところ、かえって彼らから多くのものをもらい、炊き出しをしに行ったはずなのに彼らから何か大切なものを教えてもらった経験が私たちには何度もあります。

マザー・テレサの祈りに「わたしをお使いください」というのがあります。上村幸一郎さんの曲で情緒深く歌われている祈りです。この祈りはわたしたちの仕事をよくあらわしていると思いますので、それを最後に記したいと思います。


主よ、わたしをお使いください 〜マザー・テレサの祈り〜

主よ、きょう一日、貧しい人や病んでいる人を助けるために
わたしの手をお望みでしたら、きょう、わたしのこの手をお使いください。

主よ、きょう一日、友を欲しがる人々を訪れるために
わたしの足をお望みでしたら、きょう、わたしのこの足をお使いください。

主よ、きょう一日、優しいことばに飢えている人々と
語り合うために、わたしの声をお望みでしたら、
きょう、わたしのこの声をお使いください。

主よ、きょう一日、人は人であるという理由だけで
どんな人でも愛するために、わたしの心をお望みでしたら
きょう、わたしのこの心をお使いください。

どのような仕事をしていてもわたしたちの心は、神様とこの貧しい人を志向しています。その仕事をより集中してし続けることができるようにシスターになったのです。シスターの仕事は貧しい人への愛につきます。