イエスのカリタス修道女会
 

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2015/10/25

シスターの制服


 

今回は私たち修道女の制服についてお話しましょう。日本では全体的には制服を着ているシスターよりも私服を着ている人が多いようですが、国によってその割合は異なるでしょう。それほど洋服というのは、その国の文化、あるときには歴史と深くかかわっているからでしょう。日本の場合、カトリック信者は人口の0.4%にも満たないので、修道女の姿があまりにも特異に映ると逆に宣教の妨げになるかもしれないからか、一般の方々といっしょにいても違和感のない、目立たない服装になっていると思います。一般的にはワンピース、あるいはベストとスカートというスタイルが普通だと思います。色は黒かグレーでしょう。

私たちのカリタス会の修道服も例に漏れず、日本管区の場合、グレーのベストとスカート、あるいはジャンバースカートの二通りがあります。日本管区の場合と言ったのは、同じカリタス会でも管区、地域によってつまり気候と文化の相違によって多少の違いがあるからです。

中世ヨーロッパでは修道服は当時の貴族の夫人の服装をより質素にしたものだったといわれています。私たちの修道会は日本の宮崎で77年前に創立されました。その当時の婦人の服装となると、戦前の日本ですからよくて着物、悪くてもんぺということになりそうですが、そこはカトリックの伝統を踏襲したもので、当初は従来の修道会の修道服に似せて長いベールと裾の長い黒の修道服でした。それが時代と共に変わり、スカート丈が若干短くなったり、スカートのひだが少なくなったりしましたが、近年になってワンピースから脱皮してより活動的で着脱が楽なベストとスカートの組み合わせになりました。オフィスレディーのようなというと、ちょっと語弊がありますが、ごく一般的な服装になったということです。
どんな形であったにしても、制服には基本的に二つの意味があります。それは清貧の証と共同体の証です。この二つをあわせて言えば、「修道者のしるし」ということです。清貧の証というのは、たくさんの洋服をもっておらず、ある一定の洋服だけを着用するというシンプルさを意味し、その素材も高級なものではないという意味です。共同体の証というのは、つまりその修道会ならみんな一緒のものを着ているという「ひとつであることの証」です。間違っても全体主義とは異なる、神様からこのカリタス会に呼ばれた者同士のある約束ごとのひとつと言ってよいでしょう。しかもそれは外面的に見えるものですが、実は見えない絆、精神、カリスマを表現しているのです。

ところで、修道服にはベストとスカート以外に大切なものがあります。それは修道会独自の十字架(あるいはバッチ)です。その十字架にはS とCの文字が上下に入っています。それはイタリア語のSacro Cuoreの略、つまり「イエスのみ心」を表現しています。またSuore della Carità di Gesὑ、それはイタリア語のイエスのカリタス修道女会という意味ですが、その頭文字のSCでもあります。さらに、十字架を鎖に繋げる部分には3本の線が入っています。それは清貧、貞潔、従順の3誓願を表現しています。毎朝、制服に接吻して押し頂き、十字架を首にかけるときに、私たちはイエスの愛の虜になって、今日も一日、その道具になることを誓うのです。
ちなみに、三誓願を表現している3本の線の入った留め金ですが、たとえば、フランシスコ会の場合は、T(タウ)の十字架の紐には三つの結び目があり、それが三誓願を表現しているそうです。フランシスコ会ではないある修道会の司祭がそのことを知らず、首にかけようとしたらどうも窮屈だったので、迷うことなく、その紐の結び目を解いて紐を長くしたそうです。それを見たフランシスコ会の神父様が「君は誓願を解く気か?」と聞いてきたので、その神父様はあわてて3つの結び目を作ったという話です。それぞれの会で誓願のしるしは様々のようです。
「ぼろは着てても心は錦」という歌のせりふもありますが、私たちはその反対で「美しい羽が美しい鳥をつくる」つまり「馬子にも衣装」のように、形から整えて、それにふさわしい中身を磨くというスタイルです。弱いので外を整えて中を整えるということです。
そのおかげで実際助かったことも何度かあります。修道服を着ていることでシスターであることが分かり、声をかけてくる方も少なくありません。殺伐としてこの日本の社会の中で、この制服が少しでも悩み苦しむ人のオアシスにもなればよいと願いますが、問題はその中身です。まだまだ制服に助けられているとはいえ、分不相応な格好をしていることも認めています。今度ともご鞭撻の程をよろしくお願い申し上げます。