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第16回 ドンボスコと扶助者聖母の聖画
イエスのカリタス修道女会 シスター井口みはる |
2015/5/9更新 |
みなさん、こんにちは。
5月はマリア様の月です。24日は扶助者聖母の日です。サレジアンファミリーの私たちにとって、とても大きな喜びの日で、聖母行列をしたり、特別なお祈りをしたりして過ごします。
さて、トリノにある扶助者聖母の大聖堂に入るとすぐに中央の大きな絵に惹きつけられます。この絵の制作アイディアはドン・ボスコからのもので、1865年の初めの数か月間、ドン・ボスコの思いは聖堂に置かれる扶助者聖母の大きな絵画のことに集中していました。ドン・ボスコはその絵の中に「描きいれてほしい」ものすべてを画家のトンマーゾ・ロレンツォーネに伝えました。
「高い所には天使たち、その中に聖母、その周りには12使徒たち、預言者たち、おとめたち、諸聖者たち。下の部分には聖母に手を差し伸べ、助けを願う世界のさまざまな民族。」
ロレンツォーネはドン・ボスコの話を終わりまで聞いてから言いました。 「で、その絵はどこに置くのですか?」 「新しい教会だよ」
「そこに収まると思いますか?それに絵を描くための部屋はどうするのですか?神父様がお考えの場所はカステッロ広場くらいしかありませんよ。」
ドン・ボスコは画家の意見が正しいことを認めざるをえませんでした。そこで聖母の周りには、使徒たちと福音記者のみを描くことに決め、聖母の足もとにはオラトリオが描き込まれることになりました。
ロレンツォーネはマダマ宮殿の天井の高い広間を借り、制作を開始しました。完成まで三年ほどかかりました。
彼は扶助者聖母に母親らしさと柔和さを巧みに表現することができました。オラトリオにいた一人の司祭はこう語っています。
ある日、画家のアトリエに行った。ロレンツォーネは脚立の上で聖母の顔に仕上げの筆を加えているところだった。入室の際、私が立てた音にも振り返らず、そのまま仕事を続けた。脚立から降り、絵を注意深く眺めた。ふと急に私がいることに気づくと、私の手を取って光がよく当たる所まで連れて行った。
「どんなに美しいか見てください!これは私の作品ではありません。描いたのは私ではなく、別の手が私に描かせたのです。素晴らしい絵ができあがるとドン・ボスコにお伝えください」
彼は口では言えないほどに興奮していた。そしてまた、制作にとりかかった。(『完訳ドン・ボスコ伝』参照)
ロレンツォーネは別の手が私に描かせた、と表現しています。時折私たちは、何かなそうとしているとき、自分の力ではない何か別の力を感じずにはいられないときがあります。それを私たちは神様の助け、聖霊の力と表現しますが、この絵が私たちに感動を与えるのはその絵が人間の手によってではなく、人間の手を使って、神の力、マリアの助けによって描かれたからではないでしょうか。
他の神父の記憶によると、絵が聖堂に運びこまれ、設置場所に揚げられた時、ロレンツォーネはひざまずき、子どものように泣き出したということです。
使徒と福音記者も描かれている扶助者聖母の絵。12使徒や福音記者はそのシンボルと共に描かれることが多いですが、この絵も例外ではありません。
VIVA DON BOSCO!!
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